岸本知弘

2013.12.13

第6号「ダライ・ラマ14世」

歯科に対する想いはデカく、態度もデカいが見た目もデカくなりつつある、そんな岸本知 弘が身の引き締まる思いで綴る徒然。

今回も最後までお付き合いいただきますよう宜しくお願い致します。

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チベット仏教最高指導者でノーベル平和賞受賞者のダライ・ラマ14世(以下、法王)が来 日され、11月24日(日)に国立京都国際会議場にて講演会「世界を自由にするための方法 宗教家と芸術家の視点から」が開催されました。
講演会は、作家・よしもとばなな氏の講演、法王の講演、両氏の対談、という3部構成の予定でしたが、法王から「時間の許す限り会場からの質問にも答えたい」という要望があり、急遽会場からの質疑応答も加えられました。
まずは よしもとばなな氏の講演。自身の前世はチベット僧ではないかと語る彼女は作家らしく予め書かれた文を朗読されました。
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「自分の講演スタイルについて」
誰かからの質問を受ける形ではない場合は、文章を読み上げるスタイルをとっている。
なぜなら、自分は文章を書くのが仕事で、皆の前で話をするのが仕事ではないから。
読み上げている朗読みたいなものじゃないかと思われる方もいるかもしれないけれど、これが私の誠意です。
仕事とは、自分の持っている能力で、他人や世界を幸せにすること。

「ちいさい意地悪について」
大きな意地悪は大変な責任を伴うが、ちいさい意地悪とは、やった本人に責任が伴わない。
倫理的にも職務的にも問題がない。
安全なところから、確実に少し相手が傷つくような行動をすること。
それを私は「ちいさな意地悪」と呼ぶ。

たとえば、失恋した友人が話を聞いてほしいと言ってくる。(とても長くなりそう)と感じたとき、そんなとき、「仕事があるんだ」とか理由をつけて断ってしまう。
そういう「小さな意地悪」は責任がないから、つい日常で我々はやってしまいがちだ。

先日、このような体験をした。
新幹線に乗っていた時、自分は貧血気味で体調が悪く、その事を予め車掌さんに伝えていた。
通路を挟んで、夫と子供の席。そして私の隣は空席だった。
人が来たらどけようと思い、その席にカバンを置き休んでいた。
そうしたら、いつのまにか爆睡してしまっていた。
どれくらいか時間がたったとき、
私は突然、肩を強くがしっと掴まれ起こされた。
車掌さんだった。

「あなたが寝ていたから、この席の人は座ることができずに違う席に移動してもらったのだ!」
と怒りを露わにされた。
自分は「すみません」と荷物をどけ、虚しく空いた席を見つめるしかなかった。

もし、自分が軽い体調不良ではなく、もっと重い病気だったら、
その場で泣いてしまったかもしれない。

もし、自分が空いた席に座る人の立場だったら、
肩を優しくたたき、「すみません」と声をかける。

私が車掌さんの立場であれば、
我々が家族であることを知っているので、隣の席の夫に声をかけただろう。
そうしたら今頃、皆で仲良く座っていたかもしれない。

勝手に判断して、怒って、怒りをぶつける。

この出来事は、いつも感じている社会的ストレスからくる孤独、今の日本の違和感と繋がっている。

お金が中心のマニュアル社会。

狭い島国の日本が、人と仲良くやっていくために
私たちは「絶妙なさじ加減」を昔から育んできた。
臨機応変に対応できるのが日本人の良かったところ。
今はそれを忘れてしまっているのではないか。

日本の大切な財産を取り戻すために 有名無名を問わず、1人の人間が変わるべきだ。

「人について」
一人一人の人間は人類という生命体を構成する細胞だと思う。
脳の細胞の人、おしりの細胞の人、手や足の細胞の人、などなど。
大犯罪者なんかは、がん細胞のような異質の細胞として。
それぞれがそれぞれの役割を果たさなければ、人類という生命体が生きていくことができない。
そして、その細胞をつなぎ止める唯一の共通点は「魂」である。
ほかの細胞に憧れても、ほかの細胞にはなれない。
自分は考えるのが仕事なので、脳の細胞じゃないかと思う。
手や足など、動きにつながる部分をうらやましく思ったりもする。

目の前の人を自分の一部と考える。
どの人にも親はいる。
愛がないと人類は存続しないのである。

自分は今なら、失恋して話を聞いてほしい友人がいれば
「今は忙しいけど、いついつなら時間があるよ」
ということができる。
ちいさいことかもしれないけれど、自分が変わっていく。
そして、一人一人が変わっていけば、世界が確実に変わっていく。
どんな恐ろしい景色にも目をそらさず歩くことができるだろう。
自分についた嘘は自分には分かる。

「お父さんと自分が1つの繰り返しを乗り越えた時の話」
「お父さんのお母さんが亡くなったとき、
最後にお父さんはお母さんに手をぎゅっと強く握られた。
その瞬間お父さんは(そうはしなかったが)振り払いたい!という気持ちに駆られた。
そのとき初めて、小さいときに母にかまってもらえなかったことを気にしていたことに気がついた。
親が亡くなるというのはとても心細くおそろしいこと。
でも、そこから逃げないで向き合って良かった。」
と、こんな話を幼いときにお父さんから聞いていた。
その時は「ふーん」と思っただけだった。

そして、お父さんが入院し、
病室ではいつもマッサージをしていたけれど、手に力が入ることは少なかった。
それがある日、お父さんが尋常ではない強さで自分の手を握ってきた。
例えるなら、捕まえた魚が逃げないようにするくらい強く。強く。
その時、自分は、こころから少しも嫌でなかった。
それは、何十年かけてお父さんと自分で1つのことを乗り越えた瞬間だった。
そんな風に育ててもらったこと。
お父さんの子供で1つも嫌だなんておもったことがなかったと堂々と言えること。
その繰り返しを次に持ち越さなかったこと。
お父さんが社会的に成し遂げたことにくらべれば、それはちいさいことかも知れないけれど、
大きな一歩であるように思う。
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よしもとばなな氏は「日常生活における小さないじわるを無くしていけば、世の中が変わっていくのでは」という一般人と近い目線のお話でとても共感が持てました。

そして法王のお話。
まず、よしもとばなな氏のお話を受けて
「もっと、結婚について、家庭での喧嘩や子育ての話など聞きたかったなぁ」と。

生きていればHappyなこともあればSadなこともある。
それは人生の自然。Nature of human life.
人は誕生して、老いて死ぬ。
地球を含め、始まりから終わりまでの1つのプロセスである。
誕生し子供時代を過ごす。この頃は肉体レベルの苦しみが多い。子供は脳が発達していないためにあまり苦しまない。
そして徐々に年を取る。髪が減るかわりに、経験が増える。
自分は、胆石で胆のうを取る手術を受けていて。完全な肉体とは呼べない。
白内障の手術もしていて、眼鏡もしているから、私の眼は二重のガラス構造だ。
やがて死を迎える。それは家族や社会との関係が終わることを意味する。

動物も死への恐怖がある。
sensory(皮膚感覚的)なものは動物も持っている。
人間が他の動物と違うは、mental(知性,精神的)を持っていることであり、考え、想像し、高めることができる。
人間であるということは物事を深く考えることが出来る、希望を持って夢に向かって生きることができる、ということ。
五感を通しての幸せと苦しみは動物にもあるが、純粋な意識作用があるのは人間だけだ。
それは考える力のなせる技。
人間は優れた知性を持っている。
それにより他者を思いやる優しさを持つことが出来る。
知性には多くの可能性を秘めている。
これは愛と慈悲と言い換えることも出来る。
愛と慈悲を持っている限り、平穏な心、鎮められた心を持ち続けることが出来る。

私は16歳で自由を失い、24歳で祖国を失った。
そして今現在まで、チベットからの悲しいニュースを聞き続けている。
武力、殺し合い、無実の人々が苦しみを得ている。

個人では何も出来ないことに絶望していては、健康に悪影響し、命を縮めることになる。
問題や苦しみを、内なる自分を高めるためのより良い機会として使う。
問題や苦しみに対しては、現実的な態度でチャレンジしてゆくことが大切だ。

心配していても無意味である。
心配せずに対処することが大切。
人間は、他の人達を思いやる心があればあるほど、
内なる勇気や自信が向上していく。

私の友人のチベット僧は、18年間 中国の収容所で肉体的労働を強いられていた。
命の危険を感じたなどという言葉が聞けると思って
「辛いことや危機感はなかったか?
と尋ねると、
彼はこう言った。
「自分を拷問する役人達への慈悲の心を失ってしまうことを恐れた」
彼は十何年も拷問を受けても他者への慈悲の心を持ち続けることが出来たのだ。
そして彼は、透明で穏やかになっていた。

知り合いの僧侶の方の言葉の引用。
「何かに取り組む時、それを解決する手段があるのであれば、ただ努力すれば良い。
もし手段がないのであれば、それを考えても仕方がないので、これもまた、ただ受け止めれば良い。」

24歳で祖国を失ったとき、共産党や毛沢東などに多くのことを学んだ。
1956年、インドに亡命してから、Formal(形式的)でいる必要がなくなった。
人にどう思われるかに気を使う必要がなくなった。
そして現実的な考えを正しく分析し、受け入れなければならなくなった。
大きな問題を受け入れなければならず、それが出来るようになった。
そして、広い考えができるようになった。
もし、あのままラサにいたら、
もっと偉そうで薄っぺらい人間になって、聖人のフリをしていたかもしれない。
そういう意味では中国に感謝している。

人間は毎日新しいことを学ぶことが出来る。
これを忘れずに実践していくと、夢の中でさえ学ぶことが出来る。
肉体は毎日老化していくが、このように考えれば新しいことをどんどんしていける。
ただ、夢は夢で現実には何の役にも立たない事もあるがね (笑)

チベットは他の世界と関わりを持たずに生きてきた。
知る必要もないと思っていた。
でも、それは間違いであった。
日本も、チベットに似ている。
この世界は広い。もっと見たり体験したりしてほしい。視野を広げて欲しい。
そのために若い人には多少リスクを背負ってでも外に出て行くべきだ。
そのためには共通言語である英語を勉強してほしい。
好き嫌いに関わらず、今は英語が国際語。
言語がバリアになることが多いので英語は勉強するとよい。
拙くても恥ずかしがる必要はない。
中国人には中国人の英語のアクセントが、英語圏であってもそれぞれのアクセントがある。
何も気にすることは無い。
自分だってBrokenな英語を話す。 (笑)
「ジャパニーズ イングリッシュ エクセレント!」
直接話すことができるのは、とても素晴らしいことだ。
どうか、恥ずかしがらないで!

法王はここまで話されて、残された時間を会場からの質疑応答に当てられました。
会場から10名ほどの者が法王に直接質問し、その各々に対し法王は丁寧に答えられました。
私も「愛と憎しみは同じ領域に存在するのか?」という質問をさせていただきました。
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愛と憎しみを別々に考えるのではなく、
愛と憎しみは表裏一体で、愛が前向きであるなら憎しみは後ろ向きです。
また愛には2種類あり、
一つめは動物も生まれつき持っている生物的な本能の愛です。
これは対象が変われば形も変わるので、偶像的な愛であり、本当の愛ではありません。
二つめは知性によって高められる愛です。
相手がどんな人間でも、1人の命ある存在として受け入れることができる愛です。
それこそが『本当の愛』であり、人間だけが持てる愛なのです。
そして、それは訓練すれば誰もが高めることができ、憎しみを減らすことができます。
『思いやりと優しさ、慈悲と愛』
...これこそが人間にとって最適な感情であり、怒りや憎しみは、人間の体を蝕むほどの最悪の感情なのです。
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他の質問と法王の考えをいくつか挙げます。

「ガンの患者さんに対して医療がどこまで関わって良いか」
実際の医療について私はうまく述べることが出来ませんが、宗教家として話すとすれば、 出来る限り穏やかな心で時間を過ごすことが出来るようにしてあげることだと思います。
それが延命にも繋がると思います。

「(会場の)私たちがチベットに対して出来ること」
私はチベットの文化の維持を強く願っています。
特に、チベット仏教(平和・非暴力・慈悲)は、これからとても役立つものであり、
強く維持し、広く知らしめてゆきたいと願っています。
ぜひ、チベットにいらして下さい。
チベットへ行くのは高いですが、友達にお金を借りて来て下さい。
そして、見たこと感じたことを広く伝えてください。
チベットに着いたら、アンティークを安く買って、日本で高く売って下さい。
日本人はチベットのアンティークが好きだから。 (笑)

「死に対峙する際の心構え」
希望を持ち続けることです。
一番大切なことは嘘をつかないこと。
信仰する宗教があればその信仰についてよく考え、信仰する宗教がなければ自分が大切に思うことについてよく考えることです。
呼吸法なども大切です。
自身と希望を高めていくことです。
今世だけでなく来世以降も続いていくという希望も持てるのではないでしょうか。
今を正直に真実を語って生きていく、
困っている人を助けていく、など、
そうすれば死に対する不安なども減っていくでしょう。

質問の内容も多岐にわたり、かなり精力的に長時間にわたって話してくださいました。
講演も含め法王は話の中でintelligence(知能・知性や重要な事項に属する知識)を多用されていたのがとても印象的です。
何よりも、話すことによって人を幸せにできる!こんなスバらしいことはないです!
直接お目にかかることが出来て本当に良かったです。
終わって会場を後にした時、感動した、とかでは表現し難く、純粋に幸せな気持ちになりました。

会場からの質問に即答で応えるためには、かなり多くの引き出しを自分の中に持っておく必要があると思います。
そして常にそのことについて考えている必要があると思います。
法王は、自分のスピーチの時間は短くし、会場からの質問に少しでも多く答えることができるように配慮してくださいました。
それでも時間は大幅に押し、終わったのは予定よりも1時間後!
超多忙な人にこれだけ時間を割いてもらえたことに感謝感謝です。
法王は、楽しい話、面白い話の時は勿論、辛い話、悲しい話をされる時も、その話の最後は必ずといって良いほど笑っておられました。
笑える内容で締めくくられるのです。
満面の笑みで「イヒヒ (笑)」と悪戯っ子のように笑われる法王。
こちらも豊かな気持ちになります。幸せになります。
人を幸せにできる人って、素晴らしい! 自分もそうありたいと切に思いました。

今回の経験は、今後の私の人生の中で大きな自信に繋がると思います。
私は特に何を信仰している等は無いのですが、ダライ・ラマ14世という世界の第一人者と間近に出会えたこと、直接お話が出来たことに深く感謝致します。

参考資料:
「たば やん の呟き」
http://ameblo.jp/tbysyk/entry-11714291448.html

「ダライ・ラマ14世講演会」
http://www.kyoto-seika.ac.jp/1968+45/event/dalailama/#date1124

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